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*80ねんだいぺきん:ぜん聚徳、ひがしらいじゅんなどしにせのあじは(さーちな・ちゅうごくじょうほうきょく)*

80年代北京:全聚徳、東来順など老舗の味は(サーチナ・中国情報局

1日(金)15時30分



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遥かはるかなり80年代ねんだい北京ぺきん(14)ひく真鍋まなべ忠夫ただお

宴会えんかい宴会えんかい、また宴会えんかい

 なんといっても、食べるたべることが80年代ねんだい最大さいだい楽しみたのしみだったということもあり、当時とうじ公司こうしとの宴会えんかいがやたらに多かっおおかった。そういうビジネス習慣しゅうかんだったのである。日本にほんからお客おきゃくさんが出張しゅっちょうしてきたといっては歓迎かんげいえんとそのお返しおかえし答礼とうれいえん契約けいやくがまとまったといってはおお宴会えんかい駐在ちゅうざいいん同士どうしでも、あれこれ理由りゆうをつけては小宴しょうえんかいといった具合ぐあいである。

 中国ちゅうごくかわとの宴会えんかい昼間ひるまからというケースも多くおおく駐在ちゅうざいいんじゅうには連日れんじつ白酒しろざけ(バイチュウ)攻めぜめひっくり返るひっくりかえるひと少なくすくなくなかった。わたくしのところでも、ひる宴会えんかいのあとに事務所じむしょまで運転うんてん担がかつがれて戻っもどってくるひとなんにんもいた。当時とうじ宴会えんかいといえば白酒しろざけ決まっきまっており、その白酒しろざけもほとんどがかやだいざけだった(偽物ぎぶつ多いおおい近年きんねんとちがって、当時とうじ本物ほんものしかなかった)。

 日本にほん料理りょうり供するきょうするみせは80年代ねんだい半ばなかばごろからポツポツはじめたものの、前半ぜんはんいちけんもなかった。ということで、宴会えんかい必然ひつぜんてき地場じば中華ちゅうか料理りょうりてんになる。現在げんざい北京ぺきんには高級こうきゅうレストランがキラぼし如くごとくあちこちにあるので、伝統でんとうてきなレストランに行くいくひとはほとんどいなくなったようだが、次につぎに紹介しょうかいする老舗しにせはいずれも素晴らしいすばらしいレストランなのである。

◆80年代ねんだい名物めいぶつ料理りょうりてん

 当時とうじのレストランの代表だいひょうかくは、なんといっても「ぜん聚徳」だろう。王府井わんふうちん(ワンフージン)と前門ぜんもん(チエンメン)にあったが、北京ぺきんダックの老舗しにせなか老舗しにせであり、北京ぺきん訪れおとずれたことがあるひとのうち、ここで食事しょくじをしたことのないひと探すさがすのが難しいむずかしいくらいだ。この「ぜん聚徳」はいつもいちはいだったので、和平わへいもん出来できた「和平わへいもん北京ぺきんかもてん(〓は火偏ひへんに「こう)」にお客おきゃくさんを連れつれ行くいくことも多かっおおかった。これもビル全体ぜんたい北京ぺきんダックのみせであり、その他そのたたかしふみもん伝統でんとうみせ便宜べんぎぼう」などもあった。
 
 わたくし大好きダイスキだったのが「しんようめししょう」だ。骨董こっとう文物ぶんぶつまちとして知らしられる琉璃しょう(るりしょう)の南側みなみがわにあり、同じおなじ北京ぺきんダックでも“酥鴨”というドライに焼くやくスタイルだった。これに加えくわえてあんかけがたなけずめん(タオシアオミエン)などの有名ゆうめい料理りょうりがたくさんあった。2たくしかとれないようなじんまりしたみせだったが、いま大きなおおきなビルに個室こしつ多数たすうあるレストランに変貌へんぼうしている。日本にほん東京とうきょうは、自由が丘じゆうがおか青山あおやまにも出店しゅってんしている。

 西にしよん(シースー)にあった「同和どうわきょ」も独特どくとくみせだった。ここは“さんねば(サンプチャン)”というデザートが有名ゆうめいだったが、これははしにもさらにもにもくっつかないというネバネバしたお菓子おかしなのだが、作り方つくりかた企業きぎょう秘密ひみつ教えおしえてくれない。

 ひつじのしゃぶしゃぶの「あずまらいじゅん」はふゆ定番ていばんだった(写真しゃしん現在げんざい店内てんない様子ようす)。当時とうじ王府井わんふうちん金魚きんぎょ胡同ふーとんにあったが、いまでは北京ぺきん市内いちないだけでもいくつも支店してんがある。ひつじのジンギスカンの「〓にく(〓はかみ同じおなじ)」も忘れわすれられない。このみせ人力車じんりきしゃでの胡同ふーとんめぐりのメッカ、きさきかいのド真ん中まんなか位置いちしている。80年代ねんだいのこのあたりは、ともなれば真っ暗まっくらでどこに連れつれ行かいかれるか心配しんぱいになるようなところだったが、いまひとであふれ返っかえっている。部屋へや真ん中まんなかにあるバカでかいジンギスカン鍋ジンギスカンナベでマトンを焼くやくのだが、これは豪快ごうかい見世物みせものとしても楽しめたのしめた。

 北海ほっかい公園こうえんじゅうにある「ホウゼン(ホウは人偏にんべんに「かた」、ゼンは人偏にんべんに「ぜん」)」も忘れわすれられない。西にしふとしきさき好んコノン食べたべたという料理りょうりつぎから次につぎにてくる。部屋へやがかりのお姐さんねえさんがそんな宮廷きゅうてい料理りょうり一つひとつひとつひとつ説明せつめいしてくれるのだが、なんかい通っとおっているうちにこちらも全部ぜんぶ暗記あんきしてしまった。その北海ほっかい公園こうえんだが、わたくし初めてはじめて北京ぺきん行っいった1974ねんからなん年間ねんかんかは一般人いっぱんじんなか入れはいれなかった。聞くきく修理しゅうりなかだというこたえがかえってくるのだが、なんねん修理しゅうりなかのはずがないと思っおもっていた。後日ごじつわかったのだが、当時とうじれいよん人組にんぐみがここを独占どくせんしていたのである。毛沢東もうたくとう夫人ふじん江青こうせいは、ここでいつも豪勢ごうせい食事しょくじ乗馬じょうば楽しんたのしんでいたといわれている。

 その他そのたみず餃子ぎょうざ冷凍れいとうではない、ねんため)で有名ゆうめいたん公園こうえん、おこげのごはんとなめこで知らしられた王府井わんふうちんの「みどりはなろう」、朝鮮ちょうせんひやめんの「延吉えんきち」、四川しせん料理りょうりの「四川しせん飯店はんてん」など、枚挙まいきょにいとまがない。これらのレストランは、いまから考えるかんがえる本当にほんとうにタダみたいな安いやすい価格かかく伝統でんとうあじ我々われわれ提供ていきょうしてくれていたのである。いまでも少しすこし場所ばしょ移しうつしたりなり変えかえたりして営業えいぎょうしているので、是非ぜひ皆さんみなさんにも行っおこなってほしいと思うおもう。(執筆しっぴつもの真鍋まなべ忠夫ただお

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