◇長い目で選手を観察−−「指導はタイミング」
伸びきったヒゲを蓄え、岡本幹成監督(46)は「選手がよう頑張ってくれたよ」と豪快に笑った。昨秋の県大会準決勝・埼玉栄戦後のことだ。「試合のことで頭がいっぱいになると、そるの忘れんねん」。また、表隆則部長(46)は「試合前は寝ずに監督室で対戦相手のビデオチェックをする。試合中も極度の緊張感からベンチでえずく」と明かす。野球に人生をかけた勝負師の素顔が浮かんでくる。
大阪府守口市生まれの岡本監督は、大阪・桜宮高では2番・右翼手として活躍した。東北福祉大学に進学したが、すでに体を壊していた。同高の故・伊藤義博監督から「オレのところで手伝わないか」と誘われ、主に大学の休み期間中、母校のコーチを務めた。このことが指導者を志すきっかけとなった。
伊藤監督の紹介で創部5年目の86年に聖望学園監督に就任。当初はスパルタ式の「熱血指導」だった。OBで銀行員の五十嵐紀也さん(31)は「監督のあまりの迫力に恐れをなして逃げ出した選手もいた。監督もそれを追いかけて」と懐かしむ。それが現在の「自主性を尊重する考える野球」に変化する転機は97年秋に訪れた。
結果が出ず、「やらせる練習」に限界を感じ始めていた。鳥谷敬選手(現阪神)ら当時の1年生の素質が良かったこともあり、悩み抜いた末に「彼らが3年生になる、あと2年でダメなら監督を辞めよう」と覚悟を決めた。そして賭けに出た。「甲子園は選手に連れていってもらうもの」と、選手の力を信じ、細かく口を出すことを必死でこらえた。職を賭して臨んだ99年夏、大願成就を遂げた。
「昔は選手のアラを探しては怒っていた。今は逆。見て見ぬふりをして、長いスパンで選手を見守る」。技術指導は守真基コーチ(28)に任せ、監督は観察に専念。「最も選手の吸収力が高い機を逃さずヒントを与える。怒るのも教えるのもタイミング」と指導のコツを指摘する。
秋季大会で活躍した江藤諒選手は昨年12月、岡本監督に「なんや今のプレーは」とどなられ続けた。ある時、「なんで僕ばかり怒るんですか」と涙ながらに訴えた。岡本監督は監督室に呼び、「てんぐになってるやろ。コンパクトな振りを忘れて大振りばかりしている」と諭した。江藤選手は「見てないようで実は人を見抜く力がすごい」と感服する。
岡本監督は昨夏の新チーム結成後、選手に言い聞かせた。「努力が報われると思うな。結果が出なければ試合では使ってやれない。それでも努力できるやつは、先の人生で必ず報われる」。信頼感と努力で固く結び付いたチームは、ひのき舞台で躍動する時を待ちわびている。=つづく
1月30日朝刊