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*あおやまがくいんだい、かんとうだいしんさいでとうかいのこうしゃきそぶぶんをはっけん(よみうりしんぶん)*

青山学院大、関東大震災で倒壊の校舎基礎部分を発見(読売新聞

29日(火)15時56分



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 東京とうきょう渋谷しぶたに青山学院大学あおやまがくいんだいがくで1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい倒壊とうかいした校舎こうしゃ基礎きそ部分ぶぶん発見はっけんされた。

 しん校舎こうしゃ建設けんせつのための発掘はっくつ調査ちょうさ見つかっみつかったもので、明治めいじ後期こうき学校がっこう建築けんちくでよく用いもちいられた西洋せいよう建築けんちく技法ぎほうがうかがえる。どう大学だいがくは、掘り出さほりだされたれんがの一部いちぶしん校舎こうしゃ使うつかうことも検討けんとうしている。

 基礎きそ部分ぶぶんは、どう大学だいがく青山あおやまキャンパスのテニスコート跡地あとち見つかっみつかった。

 どう大学だいがく一帯いったいには江戸えど時代じだい伊予西条いよさいじょうはん松平まつへい上屋敷かみやしきがあった。どう大学だいがくではテニスコートや古いふるい校舎こうしゃ取り壊しとりこわししん校舎こうしゃ建設けんせつするため、昨年さくねん9がつから文化財ぶんかざい保護ほごほう基づくもとづく発掘はっくつ調査ちょうさ始めはじめていた。

 この校舎こうしゃ建設けんせつされたのは、青山学院あおやまがくいん大学だいがく設置せっちされるぜんの1906ねん明治めいじ39ねん)。路面ろめん電車でんしゃ走っはしっていた青山あおやま通りどおり沿いそい正門せいもん近くちかく学校がっこうの「かお」として建てたてられ、敷地しきち購入こうにゅう校舎こうしゃ建築けんちく寄付きふした牧師ぼくし記念きねんして「しんガウチャー・ホール」と名付けなづけられた。

 2かい建てたてれんが造りづくり延べのべやく2200平方メートルヘイホウメートル)で、日本にほんせい公会こうかいひじりアグネス教会きょうかい京都みやこいち)などを手がけてがけ米国べいこくひと建築けんちくガーディナーの設計せっけい中庭なかにわ囲むかこむ長方形ちょうほうけいで、左右さゆう対称たいしょう特徴とくちょうのギリシャやローマの建築けんちく様式ようしき建てたてられた。中学ちゅうがく教室きょうしつ理科りか実験じっけんしつがあった。

 今回こんかい発見はっけんされたのはどうホールの北西ほくせい部分ぶぶん基礎きそ硬いかたい関東せきひがしロームそうまで掘り下げほりさげ作らつくられ、「割栗わりぐり(わりぐり)」と呼ばよばれる敷石しきいしあつやく40センチのコンクリート、すうだんのれんがの3じゅう構造こうぞうになっていた。どうホールの跡地あとちだったことは以前いぜんから知らしられていたが、震災しんさい戦災せんさいその後そのご敷地しきち整備せいび基礎きそ部分ぶぶんもなくなっていると考えかんがえられていたという。
 近代きんだい建築けんちく専門せんもんで、大学だいがく建物たてもの紹介しょうかいした「学び舎まなびや拝見はいけん」などの著書ちょしょがある内田うちたあおぞう埼玉大さいたまだい教授きょうじゅによると、関東大震災かんとうだいしんさいではれんが造りづくり建物たてもの多くおおく倒れたおれ耐震たいしんせい問題もんだいのあることが明らかあきらかになった。このため、震災しんさいのち鉄筋コンクリートテッキンコンクリート造りづくり校舎こうしゃ建物たてもの主流しゅりゅうになったという。

 どう大学だいがくは3つきまでに発掘はっくつ調査ちょうさ終えおえその後そのご校舎こうしゃ新設しんせつ計画けいかく進めるすすめる方針ほうしんだ。土山つちやままことおとこふく学長がくちょうは「遺構いこうていると、貧しいまずしいじゅうでも欧米おうべい追いつきおいつきくに基本きほん築こきずこうとした先人せんじんたちの強いつよい思いおもい感じかんじられる。使わつかわれたれんがの一部いちぶしん校舎こうしゃでも使用しようするなどして、遺志いし引き継ぎひきつぎたい」と話しはなしている。(松田まつた晋一郎しんいちろう
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