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*せいしょうねんどくしょかんそうぶんぜんこくこんくーる:さくひんしょうかい/いちごとめ こうこうのぶじゆうどくしょ /とくしま(まいにちしんぶん)*

青少年読書感想文全国コンクール:作品紹介/15止 高校の部自由読書 /徳島(毎日新聞

28日(月)15時1分



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 ◇レイチェルと感じかんじ自然しぜん−−阿南あなんいち富岡西とみおかにしこう2ねん野口のくちあや
 このもと作者さくしゃ、レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」いこーる神秘しんぴさや不思議ふしぎさにをみはる感性かんせい」は、それを自覚じかくして意識いしきてきに、日常にちじょう生活せいかつじゅう鈍らにぶらせてしまわない努力どりょく必要ひつようなのだと言っいっている。
 わたくしがこのもと読むよむきっかけとなった我が家わがやにわは、いつも台風たいふう直後ちょくごのようで「このごろ留守るすにしているの。」と祖母そぼ訪ねたずねてはあきれている。となりのおじさんは、「自然しぜんのままでいい。」と言っいってくれているのだが。にわといっても本当はほんとうは狭くせまくて、コンクリートの敷石しきいし並べならべ埋めうめられていて、つちのある部分ぶぶんはたったいちつぼほどの、狭いせまい前庭ぜんていだ。
 もとは観葉かんよう植物しょくぶつだった鉢植えはちうえ植えうえにされたトネリコは、すうねんかいまどたかさを越えるこえるほど大きくおおきくなった。なつにはわたくし部屋へや射すさす強いつよいようをさえぎり、さわさわと揺れゆれて、涼しいすずしいいん作るつくるほんのオリーブのもくも、太いふといかんになって、はるにはわたくし背丈せたけほどのところに、見知らぬみしらぬ野鳥やちょう作っつくったまご産んうんだ。裏庭うらにわから植えうえ替えかえ白いしろい一重ひとえのクチナシや数種類すうしゅるい小さなちいさなバラはどれもむしにやられながら、はな咲かせさかせている。放ったらかしほったらかしにされて、丸いまるいじついろ変化へんかしていくトウガラシやムラサキシキブは、いつの間にかいつのまにか姿すがた消しけしてしまった。落葉おちばをトカゲやカニが歩いあるいていることもある。なつ羽化うかした幾ついくつものそらセミは、そのままトネリコや雪柳ゆきやなぎにとまったままだ。わたくしはこのにわ大好きダイスキだ。そしてこのもと読んよんで、もしかしたらレイチェルもおいのロジャーを連れつれて、いつものように探検たんけんしているうちにわたくしにわにもて、このにわ気に入っきにいってくれるかもしれないと思っおもった。美しくうつくしく刈り込んかりこん手入れていれしたにわを「つまらない、人工じんこうてきなもの」と呼んよんだレイチェルなら、わたくしにわ楽しんたのしんでくれそうだ。
 わたくしは、こんな玄関げんかんさき愛すあいすべきいち握りにぎり野生やせいに、出掛けでかけにも帰るかえるときにも、やさしく励まさはげまされ癒やされていると思うおもうはは植物しょくぶつ買っかってくるばかりで、ちちわたくしが、このにわ管理かんりひとだ。
 いちねんほどぜんわたくし友達ともだちと「俳句はいく」を作るつくる仲間なかま組んくんだ。「俳句はいく」は、季節きせつ言葉ことば入れるはいれることと、ななじゅうななであることがルールのひとつの表現ひょうげんである。四季しき折々おりおりの、自然しぜん美しうつくしさや人々ひとびと営みいとなみを、この短いみじかい詩形しけい完結かんけつさせることの難しむずかしさ、そしてその楽したのしさにいまわたくしたちは夢中むちゅうだ。まさにそこには彼女かのじょ言ういう自然しぜん向き合うむきあう感性かんせいが、自分じぶんじゅうからわき立つたつような感動かんどうがある。このもとにあるなんまいもの写真しゃしんは、オーロラやゆき結晶けっしょう親指おやゆびほどの大きおおきさしかないモミのもくなどわたくしたことのないものばかりだ。ここでも、レイチェルの「センス・オブ・ワンダー」とわたくしの「センス・オブ・ワンダー」は、その感性かんせい育てそだて環境かんきょう、その感性かんせい気付いきづい環境かんきょうが、当然とうぜん違うちがうのだ。
 でも、ふと、時々ときどき不思議ふしぎ感覚かんかく襲わおそわれる。わたくしたちが自然しぜんをめでる気持ちきもち本物ほんものであるかもしれないが、そこになん的外れまとはずれ自己じこ満足まんぞくがありはしないか。例えばたとえばわたくし携帯けいたい電話でんわ俳句はいく作りつくり、メールで送るおくる。それは、インターネットで兼題けんだい映像えいぞうながら、エアコンの効いきい部屋へやじゅう生み出さうみだされたかもしれない。リアルな感動かんどう俳句はいく込めこめたつもりでも、その自分じぶん自身じしんは、物質ぶっしつ至上しじょう現代げんだい社会しゃかい批判ひはん生きいきている。その後ろめたうしろめたさがまた自分じぶん俳句はいくへと向かわむかわせるという、奇妙きみょう循環じゅんかん形作っかたちづくっているようなさえするのだ。
 すべての大人たいじんが、幼いおさない子供こども時代じだい生きいきてきた。ところが、そのとき持っもっていた豊かゆたか感覚かんかくしんのどこかにしまいこんで、社会しゃかいひととして与えあたえられた仕事しごと黙々ともくもくとこなしてゆく。多くおおく場合ばあい、そこに感性かんせい必要ひつようないだろう。これがレイチェルの言ういう「やがて大人たいじんになるとやってくる、倦怠けんたい(けんたい)と幻滅げんめつ」なのかもしれない。大切たいせつなことだとは理解りかいできても、競争キョウソウ効率こうりつ重視じゅうしする社会しゃかいでは、それは単にたんに息抜きいきぬき手段しゅだん一つひとつでしかないのかもしれない。
 いちにん自分じぶん部屋へやにいても、携帯けいたい電話でんわ着信ちゃくしん知らせしらせ光りひかりわたくし放っはなっておいてはくれない。いつでもたれかとつながっているような一見いっけん安心あんしんかんともいえるものに、わたくし向き合うむきあう時間じかん侵害しんがいされてしまう。まどから入っいってくるかぜにたまらなくなって海辺うみべまで自転車じてんしゃ出掛けるでかける感覚かんかくは、あらしにレイチェルが浜辺はまべにロジャーを連れ出しつれだし感覚かんかくているのかもしれない。でも、そんなときにこそわたくしは、きちんと自分じぶん向き合えむきあえているがするのだ。
 地球ちきゅう全体ぜんたいにとって、環境かんきょう問題もんだい今やいまや一刻いっこく争うあらそう切実せつじつなものになっている。彼女かのじょ警告けいこくに対するにたいする人類じんるい規模きぼでの回答かいとうはいまだなされていない。その問いといには一体いったいたれ答えるこたえるのだろう。二酸化炭素にさんかたんそ排出はいしゅつりょう割り当てわりあて決めきめられたからこうしようとか、法律ほうりつ定めさだめられたのでわがやしろはこうしましたとか。もちろんそれも大事だいじなことだろう。でも、きっと答えるこたえるべきなのはわたくしたちいちにんいちにんで、なんよりもそれぞれが自然しぜん向き合うむきあうことが大切たいせつだとわたくし信じるしんじる。「自然しぜんにふれるという終わりおわりのないよろこびは、すべてのひと入れはいれられるもの」という作者さくしゃ好奇コウキごころ期待きたいわたくし応えこたえていきたい。(レイチェル・カーソンちょかみとお恵子えこやく「センス・オブ・ワンダー」たすくがくしゃいこーるおわり

1がつ28にち朝刊ちょうかん
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