◇干拓前の植生復元を
「私にとって、潟は心のふるさと。ものの考え方も何もかも、教わったんだ」
子供のころ、家からわずか300メートルほどの潟は遊び場だった。ヨシの原っぱからは鳥のさえずりが聞こえ、春には地元・天王のことばで「キャキャズ」と呼ぶヨシキリの鳴き声が聞こえた。夏は、湖面に浮かぶ1隻の船に寝転がり、手回し蓄音機から流れる音楽を聞き空を眺めた。初秋には浅瀬でハゼを踏んで捕まえる「グンズ踏み」。多様な風景が、自然への慈しみ、命の大切さを伝え、自分を育ててくれたという思いがある。
その八郎潟は埋め立てられて八郎湖となり、水質悪化が進んだ。昨年12月に国の指定湖沼となり、早急な改善が求められるなど、「瀕死(ひんし)」の状態だ。失われゆく八郎潟の原風景を再び取り戻そうと、「潟船(かたぶね)保存会」の会長として、県立大などと協力し「環八郎湖の再生活動を体験するバスツアー」を昨年から進めている。潟船とは、干拓前、漁が盛んだったころに八郎潟を駆け回った木造の漁船。それまで、有志で開いていた旧天王町の歴史の勉強会「天王史談会」で、見慣れていた木造潟船や漁具が徐々に姿を消しているのを憂う声が上がり、95年、仲間とともに保存会を設立した。
潟船の文化的価値の重要性や、潟の文化の継承を訴えるフォーラムを毎年開きながら、岸辺に放置されていた木造船を譲り受け、01年には旧天王町教委の協力を得て、道の駅天王グリーンランド・スカイタワーの2階に漁具の展示や、漁法や干拓前の八郎潟の生態を紹介する「潟の民俗展示室」を完成させた。屋外の歴史の広場には、木造船2隻も展示された。
活動を進めるうち、「潟船を残していっても、八郎潟が汚れていったらだめだ」との思いを強くした。干拓前の植生を復元し、八郎湖を再生しよう。伝説の竜「八郎太郎」がすめる湖にしたい。そんな思いを込め「八郎太郎プロジェクト」を始動させた。
その一環として、昨年取り組んだのがバスツアー。伝説の場所を巡ったり、湖の生態を観察したり。参加した市民だけでなく、協力した市民団体とのつながりも強まり、これまでになく八郎湖の環境に、人々の関心を引き寄せられたという実感がある。
江戸時代後期の紀行家、菅江真澄もかつて、八郎潟で月見を楽しんだという。「木造船を潟に浮かべて、中秋の名月を眺めながら一杯やりたい。それが私の夢だなあ」【百武信幸】
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■人物略歴
◇いしかわ・きゅうえつ
潟上市(旧天王町)出身、在住。潟船保存会会長。秋田大学学芸学部(当時)を卒業後、同町を中心に小学校教諭を約40年務め、同町立出戸小校長を最後に97年に定年退職。現在は、保存会の活動とともに、潟上市役所天王庁舎で天王町史の編さんに努める。71歳。
1月20日朝刊